HOME|ぷぅ音楽堂|ぷぅトラベル|ぷぅファイナンス
ぷぅトラベル
〜国内旅行専門サイトです!〜
地図を別窓で開く
3日目。阿蘇のホテルを出発した我々は、まずは高千穂に向かいました。この高千穂というのは宮崎県北部にあるのですが、「古事記」や「日本書紀」における神々が降り立ったとされる場所として有名です。それを裏付けるかのようにこの一帯には天香久山・高天原・天の岩戸などがございます(ホントは神話というのは架空のお話ですよ)。その中で我々が行ったのは高千穂峡でございます。 ではこの高千穂峡についてちょっとご説明しておきましょう。ここももともとは阿蘇の噴火によって流れ出た溶岩が固まってできたところなんですが、ここを流れる五ヶ瀬川が浸食して渓谷を形成したんです。特に右下の写メはご覧になったことがある方も多いと思いますが、真名井の滝といってテレビや雑誌などでよく紹介されるところでございます。そしてこの渓谷の奥にはおのころ池(右下の写メ)というものがございまして、その中心にはおのころ島というものがございます。これは「イザナギ・イザナミという神様が地上界に降りてきて、鉾で大海原をかき混ぜたそうな。で、その鉾を引き上げた時に鉾先に水滴が付いていて、それがぽとりと落ちておのころ島ができた。これがのちに淡路島になった」という神話がございまして、これをもとに作られた(?)もののようです。 そうそう、で1つお断りしておきますが、鹿児島県の霧島にも高千穂という地名がありまして、ごちゃごちゃになりやすいので注意が必要ですね。で、霧島の方には「天の逆鉾」といって、ニニギノミコトが降臨の際に逆さまに突き刺したという鉾がございます。当然のことながら神様の鉾ですから触っちゃいけないのですが、幕末にここに新婚旅行に訪れた坂本龍馬は抜いちゃったそうです。 さて、高千穂峡を後にした我々は一路日南海岸を目指して出発致しました。で、山の中から海岸沿いまで行くわけですから、とにかく長い。今日は移動時間がほとんどですね。 そうこうしているうちに日向市に到着致しました。この日向市というのはハマグリが取れることで有名なところなんですが、ここにはこういう伝説がございます。 昔々、この日向の海岸に1人のお腹をすかせた修行僧がやってきたそうな。するとそこにお金という女の子がいてハマグリを捕っていたそうな。そのお坊さんは近づいていきこう言ったそうな。「ハマグリを分けて頂けませんか?」と。するとお金はこう言ったそうな。「これは石ですよ」と。仕方がないのでお坊さんは次の砂浜に向かったそうな。するとそこにはお倉という女の子がいたそうな。お坊さんは今度も「ハマグリを分けて頂けませんか?」と聞いたそうな。するとお倉は「はい、どうぞ」と言って自分が捕ったハマグリを分けてあげたそうな。するとあら不思議、それ以来、お金の砂浜からは全くハマグリが捕れなくなってしまい、一方でお倉の砂浜からはハマグリがじゃんじゃん捕れるようになったそうな。で、このお坊さんは誰かと申しますと、なんと!あの弘法大師様だったというオチが付いているのであります。ちなみに現在では前者を金ガ浜、後者をお倉ヶ浜と呼んでいるそうでございます。 さて、そうこうしているうちにバスは国道10号線を南下し宮崎市内に入って参りました。右手には先年、経営破綻致しました宮崎シーガイアが、さらに先へ進むと左手には長嶋前巨人軍監督が命名したことで有名なサンマリンスタジアムが見えて参りました。そしてこのサンマリンスタジアムの先をひょいっと左折したところに青島がございます。 では、この青島についてちょっとご説明を。ここは日南海岸国定公園の北端にある島なんですが、島といっても満潮の時だけで、干潮の時には陸続きになるそうです。いちおう現在では橋が架かっているので潮の満ち引きは関係ないのですが、かつては満潮になる前に陸に戻ってこなければならなかったので、ツアーのガイドさんなどは大変だったそうです。 そしてこの橋を渡っていると両脇に見えてくるのが鬼の洗濯板でございます。これは水成岩と呼ばれる岩が波によって浸食されてできたもので、ご覧のようにギザギザな形がいかにも洗濯板っぽいわけでございます。 さて、この鬼の洗濯板を両手に見ながら橋を渡りきるとそこには青島神社がございます。こちらは山幸彦とその妻豊玉姫を祀っているのですが、ではここでその話を。 昔々、この辺りには海幸彦と山幸彦という兄弟の神様がおられたそうな。海幸彦は海で魚を捕るのが仕事で、山幸彦は山で猟をするのが仕事だったそうな。ところがある日、山幸彦は釣りをやりたくなって海幸彦にお願いして1日だけ仕事を代わってもらったそうな。ところが、慣れないことはするものではなく、兄の大事にしていた釣り針を魚に飲み込まれてなくしてしまったそうな。するとその話を聞いた海幸彦は激怒し、何が何でも取り戻してこいと言う。困った山幸彦は海辺で途方に暮れていたそうな。するとそこへ1人の老人が現れ、山幸彦にどうしたのかと尋ねたそうな。山幸彦はかくかくしかじか事情を話すと、ならば任せておけってな感じで海神(ワタツミ)の宮への行き方を教えてくれたそうな。 さて、海神の宮に到着した山幸彦はさぁこれからどうするべと考え込んでいた。すると宮の中から1人の女性が出てきたので、とっさに近くの木に登って隠れたそうな。で、この木の下には井戸があったのじゃが、なんとこの女性は井戸に水を汲みに来たそうな。そして井戸の中をのぞき込むと…見たこともない男が木の上にいるではありませんか!びっくりした彼女は宮に逃げ込み、そこのお姫様であった豊玉姫に事の次第を伝えたそうな。すると豊玉姫は自らその男を見に行こうってなもんで宮から出てきた。…目と目が合い見つめ合う二人。一瞬にして恋に落ちたそうな(←お決まりのパターンやね)。 それからこの2人は結婚し、しばらく新婚生活を送ったそうな(ちなみに先ほど海辺で登場した老人はこの豊玉姫の父)。3年ほど楽しい日々を送った山幸彦は、ある日ふと釣り針を探しに来たことを思い出した(←何て呑気な人でしょう)。そこで事の次第を豊玉姫に話すと、海中の魚を集め「誰か針を飲み込んだものはおらんか?」と聞いてくれたそうな。すると1匹の鯛が名乗りを上げ、「ノドに何かが引っかかっているらしくろくに食事もできません」と言ったそうな(←3年間もよく我慢した!えらい!)。そこでその針を取り、山幸彦は兄のもとへ帰ったそうな。その際に豊玉姫は潮の満ち引きを操れる玉を山幸彦に渡したそうな。 さて、山幸彦が戻ると当然の事ながら兄の海幸彦は痺れを切らして激怒していたそうな。山幸彦がいくら謝っても許してくれない。とうとう戦を仕掛けてきたそうじゃ。仕方がないので山幸彦も応戦したのじゃが、その時に例の豊玉姫からもらった玉が大活躍したそうじゃ。海幸彦が浜辺に陣を構えたら満ち潮にして水攻めにし、海に陣を構えたら引き潮にして船を使えなくしたそうな。すると勝ち目がないと悟った海幸彦は降参し、山幸彦は豊玉姫を迎えて一緒に暮らしたそうな。その場所が青島だそうじゃ。じゃからこの青島というのは縁結びの神様として有名になったそうな。 ここまで来ればお気づきの方も多いと思いますが、この話がのちの「浦島太郎」の原型になっているそうです。 では、この2人の後日談を。このようにして甘〜い第2次新婚生活を送っていた2人の間に、ある日子どもが授かったそうな。で、いざ出産という時に豊玉姫はこう言ったそうな。「これから私は海の生き物そのものの姿に戻って出産致します。恥ずかしいので決して産屋を覗かないでください。」と。山幸彦は「分かりました」と言って送り出したそうな。が、見るなと言われれば見たくなる、お約束通りちらっと覗いてしまったのです。すると産屋の中には…巨大なワニ(古典ではワニとはサメのことを指す)がいるではありませんか!山幸彦に見られたことを悟った豊玉姫は「私はもうここにはいられません」と言って海に帰ってしまったそうな。しかし、子どもを置き去りにするような無責任な事はできないということで、海に帰る時に自分の乳房を残し、さらにのちに自分の妹を山幸彦のもとに送って子どもを養育させたそうな。この乳房を残したところが現在の鵜戸神宮で、ここは安産の神様として有名だそうな。 さて、青島を後にした我々が次に向かったのが堀切峠であります。この辺りは複雑に入り組んだ海岸線やフェニックス並木、青く輝く海など絶景が続くドライブコースで、なかでも特にこの堀切峠はテレビや雑誌などで紹介されるポイントであります。しかし、今回は時間の都合でバスから眺めて終わりでした(←やっぱツアーはダメねぇ) この堀切峠を眺めた後は最後の宿泊地、霧島温泉郷へと向かうのでした。 では最終日のお話は「桜島に行きました」で。